断崖絶壁に残るわずかな平地部分に高速、国道、鉄道がひしめき合う交通の難所「親不知・子不知」(ドローン空撮・4K動画)

 親不知(おやしらず)は、新潟県糸魚川市の西端にある日本海に向けて崖が連なった地帯です。正式には親不知・子不知といい、海岸の断崖絶壁に沿って狭い砂浜があるだけで道もなく、古くから交通の難所として知られていました。

 「親不知」の名称の由来は、一説によると断崖と波が険しいため、親は子を、子は親を省みることができない程に険しい道であることから、この名が付いたとされています。

 今回は、この交通の難所を海から撮影したいと考え、ドローン県外遠征として新潟県に行ってきました。

 ここには、北陸最大の難所の旧国道を遊歩道として整備されたのが親不知コミュニティロードです。明治16年に断崖を削って初めて国道が開通し、明治45年に北陸本線が開通。その後国道8号と北陸本線とも新ルートとなったため、明治16年開通の国道8号の旧道が親不知コミュニティロードとして生まれ変わりました。

 このコミュニティロードは、国道沿いにある親不知観光ホテル前の天険コミュニティ広場駐車場が起点で、しばらく坂道を登ると、崖から乗り出した展望台があります。

 そこからは、幹線交通網である国道、鉄道、高速道路、そして見下ろすと江戸時代の街道(海岸線)を垣間見ることが出来ます。また、その景色を見ていると、よく建設したなあと当時の人々の苦労や意地をひしひしと感じ取ることが出来ます。

 今回は、そこの展望台からドローンをテイクオフし、撮影した映像を投稿します。

↑これは動画です。写真にタッチすれば見ることが出来ます。

 親不知・子不知の付近は、飛騨山脈の崖の高さは400mほどもある断崖が、そのまま日本海に落ち込んでいて、急峻な地形なので山越えするには難しい状況でした。

 そのため、かつて往来する旅人は、この断崖の下にある海岸線の狭い砂浜で波間を見計らって駆け抜けて進まねばならず、古くから越路の最大の難所として知られてきました。

 途中で、大波が来ると洞窟などに逃げ込んだが、途中で波にさらわれる人も少なくなかったらしく次のような悲しい歌も残っています。難所を通りかかった時に赤ん坊を波にさらわれてしまい、その悲しみを詠んだ「親知らず 子はこの浦の波枕 越路の磯の 泡と消えゆく」という歌があります。

 前述したように親不知コミュニティロードの展望台かは、4世代の北陸道が一望できます。また、展望台の眼下には、「親不知・子不知」の由来となった波打ち際が見られます。

 親不知・子不知の由来となった明治までの北陸道を一世代目。続いて旧8号線としてできたコミュニティロードは二世代目。三世代目は現在の国道8号。そして、四世代目が北陸自動車道です。

 親不知のわずかな平地部分には、幹線道路と鉄道がひしめき合っているため、新しい北陸自動車道路を造る余地がなかったので海の上を通しています。そのため親不知インターチェンジは世界ではじめて海上のインターチェンジとなったらしいです。

 今回投稿する空撮動画を見て頂き、北陸最大の交通の難所であった親不知の歴史を感じ取って頂ければ、投稿した甲斐があります。如何でしょうか。

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