紫式部が詠んだ歌碑が残る塩津浜!湖岸風景と琵琶湖最北端の町の景色は (ドローン空撮・4k)

琵琶湖の最北にひっそりと佇む二集落の湖岸風景にターゲットを当てて、空撮映像を二回続けて投稿します。第一弾は「塩津浜」です。

↑ これは動画です。写真をクリックして是非みてください。

今は過疎化が進む田舎町ですが、その昔、湖上交通が最良の手段だったころの塩津浜はとても重要な役割を担っていました。

塩津浜(湊)は、古代から琵琶湖舟運の拠点として繁栄し、大津・京と北陸を結ぶ重要な交易ルートとなっていました。

江戸時代には1400艘もの丸子船が往来し、塩津浜には20軒もの旅館が並んでいたといいます。

しかし、江戸時代になり、敦賀・塩津・大津を経由することなく、北国の諸貨物が、瀬戸内海を通って直接大坂に陸揚げされるようになると、塩津浜は徐々に幹線交通路としての地位を奪われ衰退していきました。

話は変わりますが、NHK大河ドラマ「光る君へ」の主人公である紫式部は、平安時代中期に活躍した歌人であり作家です。

越前国府のある武生へ向かため、都を発った紫式部一行は逢坂の関を越えて大津へ。大津の打出浜から船出して湖西を通って三尾崎付近に停泊した後、塩津浜に上陸しています。

紫式部が塩津山を越える時に詠んだ歌「知りぬらむ 行き来にならす 塩津山 世にふる道は からきものとは」が塩津街道の常夜燈の近くに歌碑として残っています。

そんな歴史のある町は、一方で琵琶湖における最北端の町でもあります。今回は渇水で話題となっている時期(今年の1月中旬)にドローンで空撮してきました。

鳥目線で見る、冬の渇水時の湖岸風景と、ひっそり佇む琵琶湖最北端の町の景色は如何でしょうか。

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