琵琶湖の「陸の孤島」と呼ばれている「隠れ里・菅浦集落」の春風景!(ドローン空撮・4k)
今回ターゲットにした菅浦(すがうら)集落は、びわ湖最北部の奥琵琶湖に突き出た葛籠尾崎(つづらおざき)と呼ばれる半島の西先端付近に位置する集落です。
葛籠尾崎はびわ湖の湖岸まで山がせり出している地形で、北欧のフィヨルドのような美しさがあります。そんな地形の葛籠尾崎で僅かな平地にその集落が存在しており、そこには今もなお懐かしい漁村の風景が広がります。
その様子が今回投稿する空撮動画を見てもらえば良くわかると思います。
前述したとおり菅浦は突き出た半島にある集落で、高度成長期まで自動車道路が通じておらず、他の地域に行くには、山を越えるか琵琶湖を船で渡るかしかないことから「陸の孤島」と呼ばれており、文筆家の白洲正子は「隠れ里」と表現しました。
そんな不便な場所にある集落ですが、ここに住む人たちは1000年以上に渡って集落を維持し現在に至っています。
菅浦の村に入る東西の道には、その一端を垣間見ることの出来る四足門(しそくもん)と呼ばれる茅葺きの門が残っています。かつては、ここで村に入ってくるよそ者の監視にあたったと言われています。いわゆる関所的な存在でした。
そのような菅浦集落は「隠れ里」と称されいます。閉ざされた集落では、自分たちの暮らしは自分たちで守ることができるよう、団結し、決まりを設け、なりわいを工夫してきました。
その結果、いわゆる惣(そう)と呼ばれる自治的村落をつくり、村人たちは村としての結束を深く結んで生活を営んで村を維持してきました。
「陸の孤島」と呼ばれているだけあり、山々と琵琶湖に挟まれた隙間のような場所に集落は存在します。昔は100軒ほどあった家々も、今では60軒ほどになり、狭い隙間に家々が寄せ集まっています。
びわ湖と山に囲まれた自然豊かな地域で、ここに住む菅浦の人々は、古代より漁業や林業などのなりわいによって生活をする独特の文化を築いてきました。
険しい地形によって周辺地域から隔絶された菅浦では、湖と山によって育まれた集落景観が良好に残っています。また中世の自治形態である“惣(そう)”の伝統が今もなお継承されている貴重な集落であることから、「菅浦の湖岸集落景観」として国の重要文化的景観に選定されています。
今回は、その様子が良くわかるようにドローンにより鳥目線で撮影しました。また、桜咲く季節に撮影していますので、のどかで時間が止まったかのような静かな隠れ里「菅浦」の素晴らしさの一旦を感じ取って頂ければ幸いです。