小谷城は尾根や谷まで含めて山全体を要塞化し、類を見ない巨大山城!(ドローン空撮・4K動画)

今回は、私の故郷の近くにある小谷城址にターゲットをあてた動画を投稿します。

今、NHK放送されている大河ドラマ「豊臣兄弟」が人気を呼んでいますが、その主人公の羽柴秀吉と浅井長政は、主君を同じくする「同僚」から、やがて敵対関係へと変わった間柄です。

浅井長政は近江国を治めた戦国大名で、居城は小谷城。1568年、信長が上洛する際、長政は信長と同盟を結び、その証として、織田信長は妹・お市を長政に嫁がせ同盟関係を結びました。

しかし、信長が越前の朝倉氏を攻めたことから、浅井氏は旧来の関係を重んじて朝倉側につき、信長と敵対したのが、有名な「姉川の戦い」です。

その後、信長は勢力を拡大し、浅井氏の支城や周辺の拠点を次々に攻略。浅井氏は次第に小谷城へ押し込められる形になります。援軍として頼みの朝倉氏も滅び、完全に孤立してしました。

最期は、1573年、織田軍の総攻撃により小谷城は落城。主力として動いたのが、当時近江を任されていた豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)でした。長政は自害し、戦国大名としての浅井氏はここで滅びました。

今回の空撮のターゲットは小谷城が造られていた小谷山です。小谷山の中腹部には本丸や山王丸など数々の要塞が築かれ、さらには山頂部(標高約495m)にも大嶽城が築かれていました。

ここは、ふもとから尾根伝いに曲輪が連なる小谷城の中でも、いちばん高い詰めの城で、本丸などの主要部が敵に突破された場合に立てこもる、いわば最後の砦でした。

山頂にあるため見晴らしが非常によく、今回投稿する動画の終わり部分の山頂から見る眺望映像を見て頂ければお分かりのように、湖北平野や琵琶湖方面まで監視できました。

そして、小谷城は尾根や谷まで含めて山全体を要塞化し、その規模の大きさに驚かされます。

山城のメリットは、攻めにくい・周囲を遠くまで見渡せる・少人数で守れることでした。しかしデメリットは、水や物資の確保が大変・生活や政治の中心には不便であったため、戦国後期になると、だんだん平地の城へ移っていき、山城よりも交通や経済に便利な平地の城を重視しされました。

前段で、浅井家は滅びたと書きましたが、実際は、落城するときに長政とお市の子供(茶々・初・江)は城から退去し、助命されました。

その後三姉妹生き延び、長女「茶々」は豊臣秀吉の側室となり豊臣家の中心へ、三女「江」は徳川将軍家の母という、戦国最後の二大勢力の中枢へ入っていきました。

また、次女「初」は京極家に嫁ぎ、姉(淀殿)と妹(江)のあいだに立って、豊臣・徳川の調整役を務めたと伝えられます。

このようにして、浅井長政 が1573年に滅亡したあと、浅井家の血は引き継がれました。

「滅んだ家の姫が、のちの天下の家につながる」、また、歴史好きの間では「浅井家は滅んだが、血は天下を取った」とも言われており、私の自慢話の一つでもあります。

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