一度も落城しなかった天下の名城「月山富田城」(ドローン空撮)

鳥目線で見る月山富田城の全容

 足立美術館に行く途中に、休憩がてらに道の駅に寄ったところ、天下の名城「月山富田城」があることを発見。新緑の時期、広大な城跡が良くわかる風景を目にし、急遽、ドローン空撮を行いました。今回はその全容を鳥目線でお届けします。

パンフレットから引用

 島根県安来市広瀬町に残る富田城跡は、月山(標高183.9m)に設営された、この地方を代表する広大な山城跡です。戦国時代に山陰の尼子氏が本拠を構え、170年間の尼子氏六代の舞台となりました。

 尼子氏(あまごし)は、京極氏の一族で代々出雲守護代を務めた。京極氏から室町時代中期に分かれた家であり山陰地方で活動し、戦国大名となった一族です。

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 尼子家三代の戦国武将によって富田城は最盛期を迎えましたが、その尼子氏も毛利元就に攻められ、1年半ものあいだ城に立て籠っていたにもかかわらず、富田城は毛利氏の手に渡りました。

 1600年関ケ原の戦いで徳川家に敗れた毛利氏は富田城を追われ、替わって徳川家康に味方していた堀尾吉晴が城に入りました。

 しかし、山奥にある富田が出雲支配に不便なことから、堀尾氏は城を現在の松江城に移してしまいます。難攻不落と言われ、数々の武勇を生んだ名城富田城は、その後二度と城として使われることはありませんでした。

月山山上の本丸を中心に二の丸、三の丸、山中御殿成

 昔この地は中国山地を越えて山陽に抜ける交通の要衝にあたり、また、能義郡の製鉄や谷筋の農業生産地を抑える重要な場所でした。言わば富田城は日本海から中国山地まで、さらには東出雲を抑える重要な要にあたる城でした。

パンフレットから引用

 富田城は傍に流れる富田川を自然の堀とし、月山山上の本丸を中心に二の丸、三の丸、山中御殿成、さらに周囲の山々にも曲輪(くるわ)群が散在する巨大な戦国山城です。

本丸に続く急峻な七曲と称される山道

 主要な登り口は大手ともいうべき御子守口など三方向があり、いずれも本丸への大手に築かれた山中御殿成で合流するようになっています。いずれの登り道も谷筋に設けられ、谷に攻め込んだ敵勢を尾根に築いた曲輪群から攻撃する構造となっています。

急峻な七曲と称される山道を上から見る

 このことから3方面からしか攻められず、城内郭の下段が落ちても、中段の山中御殿で防ぎ、そこが落ちても、急峻な七曲と称される山道が防ぎ、頂上には堀を築き、守りを固め、一度も落城しなかった天下の名城として知られています

本丸があつた月山頂上

 城の麓にある道の駅から道が整備されていて、難攻不落なのに?とても登りやすく感じました。新緑の時期でありながら、城跡が良くわかるほど草木もきれいに刈られていて、城としての威容も分かりやすくなっています。

 空撮映像でもお判りの様に、見るべきところも尽きない、それが富田城の魅力であると言えます。今度はドローンでなく手持ちビデオを持ちながら、下から本丸まで歩いて登ってみたいとの衝動にかられました。(私の住んでいる所にも有名な山城「小谷城」がありますが、木々が茂り全容が分かりません。富田城のように下刈りをして整備をすれば、見事な城跡が見られ沢山の人々に見てもらえるのに・・・・。)

自然の堀として利用した傍に流れる富田川

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